思えば、テーブルトークによるRPGの冬の時代が叫ばれてより昨今。廉価なパソコンや、俗に言うコンシューマー機の圧倒的な勢力拡大は、本来ならば遊び方自体がかなり違うテーブルトークの市場を脅かした。一人だけでも手軽に遊べるテレビゲームと、複数の人間が集まってワイワイと話しながら進めるテーブルトークゲームとはその楽しみ方や趣旨が異なるため、共存が充分可能なはずであった。にも関わらず、その蜜月は崩れ去り、ゲーム機偏重の市場が出来上がった要因とは何であろうか。
 ここに一つ、恐るべき勢力がある。それはトレーディングカードゲームである。マジック・ザ・ギャザリングより正当な系譜を生ずるこれらは、カードゲームといえば、一つの決められた形式のカード束を巡って複数の人間がやり取りするという従来のスタイルを覆し、一人の人間に一つの専用デッキを持たせるという画期的なシステムを備えた全く新しい遊びであり、RPGから生まれた時代の寵児である。その遊び方の基本はデュエル、すなわち一対一の対決であり、TTRPGから戦闘部分だけを抽出したものだと言える。最低でも二人の人間が必要なために、テレビゲームの一人でも出来る手軽さが無い。かといってテーブルトークのロールプレイの醍醐味も無い。始めの内はそう思われていたこれらの新種カードゲームは裏を返せば、プログラムに定められた規定のプロットのみを繰り返す単純さを逸脱した、人間を相手に高度な戦略を尽くす将棋やチェスの奥深さを持ち合わせ、且つまた、個々人においては大量のカードバリエーションの中から無数の組み合わせを生み出し、この世にたった一つだけのオリジナルデッキを構築できるという、テーブルトークゲームの如き汎用性と表現性の高さを備えるという怪物的な頭脳遊戯なのである。その魅力の高さは、瞬く間にゲーム市場に浸透し、一気に席巻した。元々がそのコレクション性の高さから一度浸透したらシェアは爆発的に伸び、テーブルトークゲーム専門店の多くがカード専門店に鞍替えした。売れる商品であることが判明すると玩具店やテレビゲーム専門店、果ては駄菓子屋からデパートのお土産コーナーまで、様々なところで扱うようになり、一部のオタクの物で無くなると、益々その風潮は強まる一方である。

 もはや、テーブルトークゲームは冬の時代どころか大氷河時代にでも突入したかのようである。今一度繰り返そう。何故、テーブルトークはテレビゲームやカードゲームに負けてしまったのであろうか。それは我々テーブルトーカーが、この楽しい遊びを普及させる努力を怠ったからではないだろうか。
 元々、これらのゲームは全て、我が日本屈辱の盟主、資本主義の悪魔、怪物国家アメリカからの輸入物である。そのアメリカにおいては、これらのゲームは見事までに共存している。何より、テーブルトークがほかの二つと対等に肩を並べるメディアとして成立しているのだ。それに比して、何でもアメリカがやることは全て小器用に真似をしてきたこの日本で、何故、この業界に限ってはこの体たらくなのであろうか。それは多分にコミュニケーションにおける習慣の違いが原因であると推測できる。何でもものをはっきり言うのが美徳とされる社会と、取りあえず右に倣えと教えられる社会。他とは違うものが個性と称えられる社会と、他と違うものを徹底的に回りと同じようにさせようと無能化教育に明け暮れる社会。羨むべき前者はアメリカ社会であり、後者は恥ずかしながら我らが日本の社会である。

 この日本において、テーブルトークゲームは、何人かのオタクっぽい奴らが集まって、訳の分からない譫言を口走りながら、一生懸命サイコロを転がしている、何か得体の知れない気持ち悪いことと認識されているのではないだろうか。前述の社会比較論の中で論じたような閉鎖社会・日本の中で、一部の者だけが取り扱うものはそれだけでもマイナスイメージを持つのに、その一部の者達が普及させる努力、理解してもらう努力をしなかったらいつまでたっても、近寄らない方がいいもの、怖いものというイメージが拭い去れないだろう。とはいえ、コミュニケーションのゲームであるテーブルトークはそのセッティングが大変にデリケートなものであり、お互いに気心の知れた者同士でないとノリの良いプレイが出来ない(と思い込んでいる)。全くの素人が心易く遊べるようになるには、資質もあるが大体3,4回はゲームを経験しないといけないだろう。つまり、その3回ぐらいの間は、回りの熟達者達は素人に合わせてレベルの低いゲームをしなければならない(と思い込んでいる)。たしかに、教育の難しさの面で言うと、将棋や碁、ボードゲームやカードゲームを含めた一対一のデュエルゲームがそのルールを把握することから始まるのに対し、テーブルトークはルールを無視するのもルールのうちとも言うべきアドリブとノリのゲームなので、ルールを把握するだけではゲームは出来ない。言葉では表現できないコツを自分で掴みとれるように、様々な角度から各人の素養に合わせたアプローチを加えなくてはならないのだ。そのため、一緒に遊べるようになるプレイヤーの育成がちょっとした苦労を必要とする。それが面倒臭い、時間が勿体ないと思うところにテーブルトーカーの、いやオタクの傲慢さ、浅はかさがある。

 話題を変えよう。輸入物のRPGには決まり文句として、この一文がある。「ゲームを通して、キャラクターの成長と一緒にプレイヤー自身も成長していくことを望みます」と。だが、ついぞ、国内産ゲームでこの決まり文句を見た試しがない。メーカー、コンシューマー共に、この基本精神を忘れているものが多すぎるのではないだろうか。遊びとはいえ、何も得るところがなければ惰眠と一緒である。

 今、テーブルトークゲームで何が出来るのだろう。ちょっとした玄人であることを自他共に認める古参ゲーマー達は何をするべきであろう。『楽しければ、それで良い』の一歩向こうへ踏み込むときが来たのではないか。
 そうした思いから、テーブルトークの火を灯し続けていくためのほんの一助になればと、色々な試行錯誤の末、このホームページを開設するに至った次第である。